2013年4月8日月曜日

✵ฺ✶ฺ✸ฺ✹ฺイングロリアスバスターズの生須おもしろ映画評 ~キチガイ男の子映画を見る~✺ฺ✵ฺ✶ฺ✸ฺ ✹ฺ✺ฺ




イングロリアスバスターズの生須おもしろ映画評 ~キチガイ男の子映画を見る~

2009年公開のアメリカの戦争映画『イングロリアス・バスターズ』を見ました!()
監督・脚本はクエンティン・タランティーノ監督、
出演はクリストフ・ヴァルツ、メラニー・ロラン、そしてブラッド・ピットさん!

まさか米アカデミー賞脚本賞を受賞したクエンティン・タランティーノ監督のような相当に知的で映画的教養に満ちた監督の作品が、キチガイ第5階級で21歳の貧乏な生須にわかるのですか?と思われるでしょうけれど、株式会社ゲオでは、映画ビデオが80円レンタルで下層の若者にも見れます。
わかるわからないのご指摘は脇に置いておくとしても、そんな現代文明にびっくり!ではないですか。

人類史って700万年程度らしいですけれど、皆さんは教養もあって日本に君臨するので、700万年の歴史的蓄積のなかで、このかけがえのない生涯をENJOYする法を知ってらっしゃるんでしょうね、生須は馬鹿なので露程にそうした方法を知りません。もしよければ今度お酒を飲みながらでも、苦悶の生須にそんな方法をぜひ教えてくださいね。(╹◡╹)

しかしながら、生須もキチガイながらにすっごい気持よくって楽しい事って知っていますよ!
突然ですがキチガイ生須のエクスタシーランキング発表、皆様にもお裾分け!
,。・:*: 1:*:・゜『哲学者フッサール、主観性と超越論的主観をわける!』
,。・:*: 2:*:・゜『精神分析学者ラカン、想像界と象徴界をわける!』
,。・:*: 3:*:・゜『社会運動フェミニズム、生物学的性とジェンダーをわける!』

頭の悪いランキングだと、思われますよね!あはっ!
フッサール、ラカンのような学者様方のこうした厳密に分割するという仕事には、反社会性のエクスタシーがあります。皆様感じませんか。

そんな、キチガイ生須の21年の生涯の蓄積と霊感から言いますけれど、
思考にはふたつの類型があるはずです!
・だいたい-不純志向、まとも社会人型。
・厳密-純粋志向、キチガイ型。

キチガイ生須のテーゼは、「人類がある事象をクリアに分割する事は人類的に禁止されている。」という事です。
実は驚きな事ですが、法律的、人間共同体的には物事をクリアカットに認識するというのは禁止されているんですよ。
うっそー(ωω)

マルセルモースという人がおりましたが、あの人も変わった学者で、法律の基礎というものを研究しました。
その際、アフリカのマオリ族という民族を研究します。マオリ族の交換自体は共同体の構造そのものです。
そして、共同体の構造たる法律、道徳とは実は「交換をやめてはならない」という事の言い換えであるという事を発見します。(〃・)

前近代的なアルジェリア社会では、物事を数える事の禁止という事を発見がありました。これはつまり資本主義的契約のような関係をクリアにする事を禁止とつながっています。アルジェリアのような社会様態では、人同士の交換の頻度をクリアカットにされた関係は阻害するからです、そうした事を主張したのは1930年生まれのフランスの社会学者ブルデューでした。
それがが何を意味するのかというと、外界への関係をクリアにする事は交換を促進しませんという事です。
というのは、交換というのは、「あれあげすぎたっけ、いやもらいすぎていたっけ」という感情のはばがもっとも交換を促進するからです。

この事が、実は完全な鏡像段階をするのを社会が禁止するのと同じであるというのは生須の狂気を越えて皆さんも同意してくださるはずです。(✾♛)
つまり些細な事でなりっきてしまう子供も社会は排除します。
向かい合うバカップルを馬鹿だなと笑うのは、あれは完全に自他の区別を排すので、交換不可能になるので、人々は笑います。
と言う事で、根源的に交換を阻止するものを禁止する法律的なライブラリーの中に厳密、純粋、クリアカットの禁止が暗に想定されていてもおかしくありません。
ですから、人倫社会では厳密さ、純粋さへの要求は禁止されているはずです!生須はそう主張します。
この事けっこう面白く無いですか?()ノャァャァ

では、具体的な所に落とし込んで、物語の構造的な分析話をします!
紀元前に出家 成道 教団 伝道 入滅をした仏陀。またそれに似た生涯をおくったガリラヤのイエス。人類に神々から火を持ち帰ったプロメテウスには一つの構造が共通しています。
(分離・旅立ち)→(通過儀礼)→(帰還)。というのが純粋な構造です。
これは英雄物語の基本構造です。
この構造は歴史的にいくつかの流れに分岐します。皆さんもご存知であるはずです。(UU)
少女漫画型の母型(不遇な出会い)(ふたりに訪れる危機)(相思相愛)、
神への挑戦の母型(現世での栄誉)(奢りから神への挑戦)(敗退と罰)、などの物語構造を人類は発見しています。

ここで示したように実は物語の本質的なヴァリエーション自体の数は有限で存在しています。その中から人類自体が選んで創作しています。ヾ(✿❛)
これまで演劇、文芸では、そうした物語を選びかたというものは一つの物語を選んでまとめるという形態のものが多かったのでありました!

必然的な筋として、悲劇が観客の心に怖れと憐れみを呼び起こし感情を浄化する効果をカタルシスと言ったのは古代の大アリストテレスでしたが、こうしたカタルシス型の単一映画がジョージ・ルーカスの1977年公開の『スターウォーズ』でした。

近代までの物語の構造ってこうした単一カタルシスものが多いです。
その分、王の持つ装飾具の豪奢にこだわるとか、俳優をより優美にするとかそんなこだわりばっかりで私なんかげろげろ。みなさん、そんな生須を笑うのでは。(。→ˇ艸←)

そういう意味でイングロリアスバスターズは複数の物語母型を重ねていますので新しくってぴかぴかです。
この重ねるという事自体は、厳密さと純粋さというふたつの条件をクリアしなくてはなりません。
そしてその重ねられた母型の純度はスターウォーズのそれよりも厳密で純度の高いものです。
という事は....、厳密-純粋志向は狂気!が生須の主張なのでもちろん、この2009年公開、タランティーノ監督のイングロリアスバスターズにも狂気があります。
親近感(pq`)

この映画はスターウォーズに代表されるような、吉本隆明的な『だいたいでいいじゃない』と同質の模糊曖昧の単一秩序映画ではないという事が私の切なる主張であります。
「あいまいさ」という社会的通俗性、一般性を持った映画でもないという事であります。()
純度の高い物語母型を重ねたこの映画は一つの厳密-純粋志向、キチガイ型の映画です。そういう意味でとっても現代的で楽しいこと請け合いなんですよ。(╹◡╹)

社会を跋扈する皆様がた、ぜひぜひ!()

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